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ふすま絵の世界  
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日本の伝統美

 
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                      狩野派絵画の世界

  狩野派は、親・兄弟などの血族関係と師弟関係を主軸とした日本絵画史上最大の画派で、
 室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで、約400年にわたって活動し、
 常に画壇の中心を占めた専門画家集団であった。
 室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし、
 その子孫は、織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍などに絵師として仕え、
 その時々の権力者と結び付いて常に画壇の中心を占め、
 内裏、城郭、大寺院などの障壁画から扇面などの小画面に至るまで、
 あらゆるジャンルの絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼした。

 狩野派の代表的な絵師は、
 室町幕府8代将軍足利義政に仕えた初代狩野正信とその嫡男・狩野元信
 元信の孫で安土城や大坂城の障壁画を制作した狩野永徳
 永徳の孫で京都から江戸に本拠を移し、
 江戸城、二条城などの障壁画制作を指揮した狩野探幽
 京都にとどまって「京狩野」と称された一派を代表する狩野山楽などがいる。


     
 

   

  狩野正信

  室町時代の絵師で、狩野派の初代で、室町幕府に御用絵師として仕えた。
  画風は、漢画(大和絵に対して中国風の画を指す)系の水墨画法によるものが多い。
  文明15年(1483年)には足利義政の造営した東山山荘の障壁画を担当し、
  1496年には日野富子の肖像を描いた(実隆公記)。





              
              狩野正信筆 周茂叔愛蓮図 九州国立博物館 国宝






    
        狩野正信筆竹石白鶴図 (京都・大徳寺真珠庵




  狩野 元信


  室町時代の絵師。狩野正信の長男で、狩野派2代目。
  父・正信の画風を継承するとともに、漢画の画法を整理し大和絵の技法を取り入れ
  狩野派の画風の大成し、近世における狩野派繁栄の基礎を築いた。
  書院造建築の装飾にふさわしい日本的な障壁画様式を確立した点に特色がある。
  新たな顧客からの注文の増加と多様化に対応するため、
  当時の絵師の筆様を大胆に整理・統合し、
  書体になぞらえた「真」「行」「草」の3種類の画体を確立、
  これを弟子たちに学ばせて、幅広い注文主の要求に応えた。
  当時の絵師の作品は小品が多く、
  障壁画や屏風絵のような大画面の構成に不向きであった。
  元信は、多種多様な絵を大量制作できるこの画期的制作システムを構築し、
  後の狩野派の制作体制を決定づける事になった。  




   
            狩野 元信筆  『四季花鳥図』







   
           狩野 元信筆  『四季花鳥図』            メトロポリタン美術館蔵 





              
               狩野元信筆 白衣観音図 ボストン美術館





   
        狩野元信筆   花鳥図屏風                       出光美術館蔵




  狩野永徳

  
  安土桃山時代の絵師。狩野派の代表的な画人であり、日本美術史上もっとも著名な画   人の1人である。狩野元信の孫にあたる。
  狩野派の棟梁として織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え、
  安土城、聚楽第、大坂城などの障壁画を制作した。
  これらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、
  真筆とされる現存作品は比較的少ない。
  永徳は『唐獅子図』や『檜図』のような雄大なスケールの豪快な大画が有名ながら、
  細部を緻密に描写した「細画」もよくしたとされる(『本朝画史』)。
  現存する代表作の1つである上杉本『洛中洛外図』は、
  彼が細密描写に秀でていたことを示している。
  後陽成天皇の内裏の障壁画、八条宮家の障壁画などを立て続けに作成し、
  東福寺法堂の天井画の龍図を制作中に病気になり、ほどなく死去した。享年48。
  死因は、現代風に言えば過労死ともいわれている。
 




   
           狩野永徳筆    檜図屏風              東京国立博物館 国宝





   
           狩野永徳筆 花   鳥図襖               聚光院






   
          狩野永徳筆  唐獅子図屏風          宮内庁三の丸尚蔵館




 
 
      狩野永徳筆    「花鳥図襖」。               聚光院の襖絵






  
     狩野永徳筆   「洛中洛外図屏風 上杉本      米沢市上杉博物館蔵   国宝







  
  
   狩野永徳筆    洛中洛外図屏風 上杉本 部分   米沢市上杉博物館蔵   国宝





  
        狩野永徳筆   「四季草花図屏風」  四曲一隻     宮内庁三の丸尚蔵館



  

  狩野長信


  安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した狩野派の絵師。
  江戸幕府御用絵師の一つ表絵師、狩野永徳の弟で御徒町狩野家などの祖。
  慶長年間、京都で徳川家康に拝謁、次いで駿府に下り御用絵師となった。
  狩野家で江戸幕府に奉仕したのは長信が最初。
  慶長10年(1605年)頃徳川秀忠と共に江戸へ赴き、14人扶持を受ける。
  慶長13年光信が亡くなり、狩野探幽の側で狩野派一門の長老格として後見した。
  寛永期には、二条城二の丸御殿・行幸御殿・本丸御殿の障壁画制作に参加、
  台徳院霊廟画事に従事、日光東照宮遷宮に伴う彩色にも加わるなど
  第一線で活躍し、寛永2年(1625年)法橋に叙された。
  





   
          狩野長信筆(永徳弟)   花下遊楽図(一双のうち) 東京国立博物館   国宝





   

   
        狩野長信筆   「花下遊楽図」 6曲1双   東京国立博物館   国宝





   
       狩野狩野長信筆   玄宗皇帝・楊貴妃図屏風      ミネアポリス美術館所蔵(





 

  狩野 山楽

  安土桃山時代~江戸時代初期の狩野派の絵師。
  浅井長政の家臣・木村永光の子光頼として生まれ、
  浅井氏が信長によって滅ぼされてからは豊臣秀吉に仕え、
  秀吉の命により狩野永徳の養子となり狩野姓を名乗った。
  安土城障壁画や正親町院御所障壁画(現南禅寺本坊大方丈障壁画)の作製に加わり、  永徳が東福寺法堂天井画の制作中に病で倒れると、山楽が引き継いで完成させた。
  このことから、永徳の後継者として期待されていたことが伺える。
  以後、豊臣家の関係の諸作事に関わり、大阪に留まって制作に励んだ。
  豊臣家と深く関わったため、大坂城落城後、豊臣方の残党として嫌疑をかけられた。
  一時身を隠したが、九条家の尽力で一画工であるとして恩赦を受け助命される。
  九条家との繋がりは以後代々受け継がれ、幕末まで続くことになる。
  駿府の家康に拝謁、京都に戻り徳川秀忠の依頼で四天王寺の聖徳太子絵伝壁画など   を制作した。
  狩野探幽(永徳の孫)らが江戸に移って活動したのに対し、
  山楽・山雪の系統は京に留まったため、「京狩野」と称されている。






   
            狩野 山楽筆(永徳の弟子)     『牡丹図襖絵』     大覚寺蔵





  
      狩野 山楽筆  紅梅図襖絵







  
        狩野 山楽筆            竹虎図 






  
        狩野 山楽筆   京都正伝寺襖絵   重要文化財
        




  
      狩野 山雪筆 群仙図襖絵                      アメリカ・ミネアポリス美術館蔵




 

   
狩野 探幽


  江戸時代初期の狩野派の絵師で永徳の孫。
  狩野孝信(狩野永徳の次男)の長男として京都で生まれる。
  桃山絵画からの流れを引き継ぎつつも、宋元画や雪舟を深く学び、
  線の肥痩や墨の濃淡を適切に使い分け、画面地の余白をに生かした淡麗瀟洒な画風を  切り開き、江戸時代の絵画の基調を作った。
  慶長17年(1612年)、駿府で徳川家康に謁見し、1617年江戸幕府の御用絵師となり、
  1621年には江戸城鍛冶橋門外に屋敷を得て、本拠を江戸に移した。
  江戸城、二条城、名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺、妙心寺などの有   力寺院の障壁画も制作した。山水、人物、花鳥など作域は幅広い。
  若年時は永徳風の豪壮な画風を示すが、後年の大徳寺の障壁画は水墨などを主体に   墨線の肥痩を使い分け、枠を意識し余白をたっぷりと取った瀟洒淡泊で
  詩情豊かな画風を生み出した。






   
      狩野 探幽筆(永徳の孫)  松鷹図障壁画    二条城二の丸御殿 大広間四の間






   
       狩野 探幽筆(永徳の孫)  松鷹図障壁画    二条城二の丸御殿 大広間四の間








    
        狩野 探幽筆                   松鷹図部分





       
          狩野探幽    群虎図(部分)            重要文化財 南禅寺蔵








    
        狩野探幽筆    叭々鳥・小禽図屏風(右隻)       出光美術館蔵





    
         狩野探幽筆  竹林七賢・香山九老図屏風          静岡県立美術館



 


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