狩野永徳
安土桃山時代の絵師。狩野派の代表的な画人であり、日本美術史上もっとも著名な画 人の1人である。狩野元信の孫にあたる。
狩野派の棟梁として織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え、
安土城、聚楽第、大坂城などの障壁画を制作した。
これらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、
真筆とされる現存作品は比較的少ない。
永徳は『唐獅子図』や『檜図』のような雄大なスケールの豪快な大画が有名ながら、
細部を緻密に描写した「細画」もよくしたとされる(『本朝画史』)。
現存する代表作の1つである上杉本『洛中洛外図』は、
彼が細密描写に秀でていたことを示している。
後陽成天皇の内裏の障壁画、八条宮家の障壁画などを立て続けに作成し、
東福寺法堂の天井画の龍図を制作中に病気になり、ほどなく死去した。享年48。
死因は、現代風に言えば過労死ともいわれている。
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