8 Wisdom      nico-wisdom.com
Wisdom ■日本紀行  ■My Fhoto World  ■成功の条件  ■和紙と日本文化  ■ふすま絵の世界 
■ 外部リンク ■世界の医学史 ■日本の医学史  ■ホスピスと介護  ■随縁記   ■電子書籍
■Top Pageへ ■サイトマップ ■投稿広場 ■お問い合わせ  nico-wisdom 無料カウンター

 
  
 ■延命治療の研究             

 
paeTOP

■Top Pageへ
ホスピス HospiceTopへ

 
  ■延命治療の定義


  ■究極の決断、延命治療とは?   事例研究

 

 延命治療の定義

 

  延命治療とは、文字通りに解釈すれば、「生命(寿命)をのばすための治療」となり、

   病院での治療はすべて結果的に「延命治療」といえる。


  一応の定義としては、「快復の見込みがなく、死期の迫った」患者に、

   人工呼吸器や心肺蘇生装置を着けたり、

   点滴で栄養補給をしたりなどして生命を維持するだけの治療のことをいう。


           


           

 
  しかし「快復の見込みがなく、死期の迫った患者」の判定は、医師にしかできない。

   かつては「快復の見込みがない」と思われた状況でも、

   迅速で適切で高度な措置で奇跡的に回復する事例も多い。
  
   つまり高度な知識と技術をもっている医師か、経験不足な医師とでは、

   同一患者でも「快復の見込みがない」基準が異なる。

 
              



   「快復の見込みあり」として、人工呼吸器や心肺蘇生装置を着け、

   点滴で栄養補給をしつつ、疾患患部の外科手術を行い患部の回復には成功したが、

   患者の意識は回復せず、以後寝たきりの植物人間化する場合も多い。


              


   とくに「ガン」の治療では、がんと診断されると、治療方法は手術や抗がん剤、

   放射線治療が主になる。 これも基本的には延命治療の範囲となる。

   癌で余命3ヶ月から6ヶ月と診断され、抗がん剤の治療で半年程度延命治療できても

   結局は、患者に苦痛を味合わせた挙げ句、完治は望めない場合が多い。


                   



            


   しかし近年は、癌の早期発見と最新の治療技術で、ガンの患部を感全摘出することで、

   十年以上の生存率を確保している事例も多い。

   一方、医師が末期癌と診断をくだしたが、患者の意志で抗がん剤や放射線治療を拒否し、


   サイモントン療法などの心理療法や、さまざまな暗示療法、イメージ療法など

   セルフコントロールを行って生きる姿勢や生きる意欲が強くなり、

   ガンの治癒の過程に大きな影響を与えることが分かってきている。

              


   生命の持っているホメオシターシスの力で、

    医師の治せないガンが、奇跡的に回復するという事例も多い。

    つまりは何が延命治療で、何が延命治療でないかは、

    論理的に整合性を成り立たせて、唯一の完全無欠な定義をすることは困難である。


      


   また法律にも病院にも、「延命治療の定義」がないことに加え、患者の家族にも、

    人それぞれ延命治療に対する解釈、価値観、倫理観などが違うため、

    “延命治療とはなにか”という問いに、明確な答えが出ない。






   患者と医師の問題


    「生命を延ばすための治療」を延命治療と呼ぶのなら、

    その治療を止めてしまえば、患者は確実に亡くなる。

        


    医師が家族に延命治療をするか否かを聴く場合、

    家族の立場からすると「延命治療をしないでほしいと言ったから、

    私が殺してしまったと同じだ」と自分を責める人もいる。

 
          


   医師の立場では、「患者が心肺停止で」救急救命センターに搬送され、

    家族が動転して正常な判断が下せず、ただ狼狽し泣き崩れている場合、

    取りあえずは人工呼吸器だけでなく、血液透析やPCPSという人工心肺、

    バルーンパンピングという心肺補助装置などで、

    奇跡的に生還を期するのが医師の立場であろう。



          
           バルーンパンピングという心肺補助装置

paeTOP 


  究極の決断、延命治療とは?   事例研究



  医師の立場から


  私が内科や救急センターにいた頃、人工呼吸器だけでなく、

  血液透析やPCPSという人工心肺、バルーンパンピングという心肺補助装置などで

  奇跡的に生還した患者さんを見てきました。

  しかしながら機器につないでも、良くならずに植物状態や脳死状態になってしまう方も多いんです。


     

  そうなると家族の負担や本人の苦痛を考え、どこまで治療するのかというところで、

  医師は究極の判断をしなければなりません。

  要は、このまま治療を続けるか、自然に任せるか、判断を迫られる。


  何年か前に、長年入院していた植物状態の患者さんに、

  大学病院の医師が薬物を注射して死なせてしまったニュースがありましたが、

  多くの医師はその行為に共感出来ると思います。

  まあ、説明不足と積極的に薬物を投与したのは、やりすぎだと思いますが、

  死なせてあげたくなる気持ちは痛いど解ります。

  今回はそんな究極の選択をした患者さんの話です。



  その人は30歳代の女性で、私が当直していた夜に、心肺停止状態で搬送されました。

           
   

  11歳の娘さんと二人暮らしで、夫は単身赴任です。

  その夜、彼女は入浴中に、叫び声を上げ、その後湯船に浮いていたそうです。

  気がついた娘さんは、彼女を引き上げて布団に寝かせ、自分で救急車を呼び、

  来るまで団地の下で紙コップを振って待っていたそうです。


      


  救急隊到着時には心肺停止状態で、そのまま心臓マッサージをしつつ搬送になりました。

  病院に着いてから、娘さんは看護師さんに抱きつき、泣き出してしまいました。


  まだ小学生なのに、湯船から母親を引き上げ布団に寝かし、服を着せてから、

  救急隊を呼ぶなんて良くできた娘さんです。

  救急隊が来るまでは凄く怖かったのでしょう。

  病院に着いて緊張の糸が切れたのだと思います。

  私が診察した時には全く脈を触れず、瞳孔も散大、心臓マッサージなどの蘇生をしながら、

  彼女が倒れてから、娘さんが引き上げ、服を着せる時間、救急隊の通報時間と

  到着時間を計算していました。


     


  人間の脳というのは、心停止などで酸素の供給が5分以上止まると
  脳死などの不可逆的なダメージを受けるといわれております。


  その5分以内に誰かが胸を押して、血液を脳に送らないといけないんです。
  彼女の場合は可哀相ですが、どう計算しても15分以上は経っていると思われました。

  「恐らく、脳は助からない」そう思いながらも、今来ている身内は娘さんだけです。
  泣きじゃくっている娘さんに、死亡宣告なんて出来る訳ありません。

  助からないにしても、旦那が到着するまでは、蘇生術を続けることにしたのです。

  蘇生を初めて40分後、わずかに彼女の心臓が動き出しました。
  すぐに昇圧剤を使用し、血圧を持続的に測定る管を動脈に挿入し、すぐに原因検索です。
 
  若年で基礎疾患が無く、急に心肺が止まる疾患は、大抵不整脈か脳出血です。
  彼女の場合は、予想したとおり急性クモ膜下出血でした。

          


  脳の動脈に瘤が出来たり、生まれつき奇形がある、と血圧の上昇などで突然出血するんです。

  すぐに脳外科医を呼び指示を仰いだのですが、頭部CTを見る限り出血と低酸素脳症でひどく浮腫んでおり、
  外科的には何も出来ないとの返事でした。このまま心臓が動き続けても、
  ほぼ脳死に近い状態になると予想されました。

  とにかく呼吸器につなぎ、強力な昇圧剤と脳の浮腫みを取る薬を持続的に投与し、入院させました。

  旦那さんには低酸素脳症とクモ膜下出血という病名と、意識が戻る可能性は極めて低いこと、
  このまま死亡する可能性もあり、良くても植物状態であろうと説明しました。

  昨日まで元気だった奥様の急変ですから、受け止められないのは当然です。

        

   しかし、このまま昇圧剤の投与や呼吸器管理を、どこまでするのかを決めなくてはいけません。

   そのことを旦那さんにも相談したのですが、「自分では決められないと、彼女の両親が来るまで、
  何とかこのまま出 来ることは全てやって欲しい」との返事でした。


  彼女の両親は九州に住んでおり、翌日の夕方、親戚と一緒に来院し、旦那さんと同じ説明をしました。
  呼吸器につながれた娘を見て非常にショックを受けており、どうしていいか解らないという印象でした。
 
  娘さんはずっと心配そうにベッドサイドに付き添っておりましたが、
  さすがに厳しい病状説明はできませんでした。

  私の診察を食い入るように見ており、
  心拍モニターやぶら下がっている点滴の種類を一生懸命にチェックしていたのを憶えています。

         
    

  毎日のように家族に厳しい病状を説明し、3日が経過しました。

  身体的には若いせいもあり血圧は安定しましたが、相変わらず自発呼吸や脳幹反射は全く認めません。
  肺炎を併発しておりましたが、呼吸器管理と抗生剤投与で何とか改善しそうでした。

  しかし、その夜、彼女の父親から「治療を全て中止して欲しい」との申し出があったのです。
  理由としては、「あんなに美しかった娘が、たくさんの管をつけられ浮腫んでいくのが、辛くて見ていられない。」

  「このまま脳死になって、一人病室で寂しく亡くなっていくのが耐えられない。
  今だったら両親や親戚、皆で看取ってあげられる。」と目に涙を浮かべて訴えておりました。

  「少し考えさせてください」と返事をしたところ、
  「どうせ治らないんだろ!」と厳しく父親に詰め寄られ、何も言い返せなかったのを憶えています。

  家族は九州から出てきて、ずっと付きっきりで、体力的にも精神的にも限界だったのでしょう。
  気持ちは痛いほど解るのですが、治療を止めるという事は彼女の死を意味します。

  私もどうしていいか解りませんでしたので、上司の先生に相談し、看護師さんとも話し合いましたが、
  結局両親と夫に文書で同意を取た上で、家族の意向を尊重することにしたのです。


  その夜、親戚、家族に囲まれて彼女は亡くなりました。

  娘さんには、こちらで治療を止めることは説明せずに、
  急に症状が悪化したということにしてもらいました。

  母親に抱きついて大きな声を上げて泣いている娘さんを見て
  何となく罪悪感を感じたのを憶えています。

       

  搬送された時点で助からないと思ったのであれば、
  あまり無理に蘇生しなくても良かったのではないか?

  家族から治療を止めて欲しいと言わせる前に、
  黙ってこちらで中止することも出来たのではないか?

  私がした延命措置は、家族に期待を持たせて、
  結果として裏切り、傷つけただけでは?

  後で考えると、色々な選択肢があったと思います。  
  でも、その時の娘さんの悲しんでいる姿は、一生忘れないと思います。

  その後も、同じようなケースに何度も遭遇しました。
  しかし、少なからず奇跡的に戻る患者さんを経験すると、

  どうしても期待をしてしまい手を抜けないんです。 
  もしかしたらその行為は、私の勝手なエゴなのかもしれません。
 
  後から見れば間違った医療行為だとしても、決して手を抜かず一生懸命治療し、患者さんや家族と相談し、

  悩み つつ治療を選択することが、医師として大事なことではないかと、今では思っております。

paeTOP 






 
家族の立場から


  
高齢の父親が2月に老衰で呼吸が苦しくなり、救急で運ばれたその夜、事前に医師からの連絡なしに、
  翌日には、人工呼吸器がついてしまっていました。


      


  もう心臓が衰えているので「あと半月もつかどうか分からないい」と医師から言われました。
   が、その、後気管切開手術をしてからというもの、8ヶ月間入院が続いています。


  どこかのブログで「延命治療は税金のムダ」という書き込みも見かけましたが、

  確かに国保にお世話になっていても、大きな機械を使用する個室しか入れない患者の場合、
  医療費は、結局差額ベッド代が高額なので、

  治療・胃ろう処置もろもろで月に70万円前後の支払いになります。 
  これは家族にとって恐怖以外の何ものでもありません。


       
    
 
  父は生命保険にもはいっておらず、年金と家族の貯金でやっと支払っていますが、
   やがて家族も逼迫してきつつあるこの状況で、父は本来ならすでに死んでいる筈なのに、

   知らないうちに人工呼吸器がついてこんなに長い治療になるなんて、
   父も家族も意図していなかったことなので、この先を思うと途方にくれてしまいます。

   意識が朦朧としながら延々と辛い痰の吸入をされ、機械に繋がって動けず、語れず、
   ただ死ぬのを待っている・・。



  こんな状況、本当に皆さんこのような感じで高額な医療費を払い続けているのでしょうか。
  もし生活が苦しかったら、絶対にこんな状況は受け入れられないと思うのですが、

  延命治療とは本当にこんな現状なのでしょうか。どう考えてもおかしいと思うのです。

 
  救急車で父が運ばれた時、医師との面会で開口一番
  「長期になるとしたら、病院はホテルじゃないですから他へ移って貰うこともありますよ。」
  と言われて不安になりました。


      

 
  口からの人工呼吸から、気管切開への手術に迷った時も、

  「もし手術しない場合は、遠方のもっと安い病院に移ってもらう事になる」
  と言われたので、もう長くないし手術をして今の病院に居られるなら有り難いのではと思っていました。

 
  他の病院について事務局へ訪ねると、何故か人工呼吸器を置いている療養型施設はほとんど無く、
  金額も月50万円はするところばかりでした。


  結局動けない、「人工呼吸器は一度入れたらもう抜けない」というなら、
  一番最初の面会のときに、事前にそうなる可能性も含めて説明してくれても良かったのではと、
  疑問に思ってしまいます。

  呼吸器装着前には、医師から家族に相談があるというのが常識だと聞いたのですが本当でしょうか。


 
  補足

  父は2年半前、誤嚥性肺炎にかかり、入院したときに胃ろうが付きました。
 
            

  車椅子生活となりホームへ入居し、その後何度か肺炎で入退院を繰り返し、
  今回もそちらから救急車で運ばれました。

 
  ホームのスタッフや病院の方からは、今まで「延命治療」という用語を聞いたことがなく、
   私達家族も普段から全く意識していなくて、いかにその状況やそれ自体に対して無知な状態だったのだろうと

   勉強不足を感じています。



paeTOP 

■Top Pageへ
ホスピス HospiceTopへ