かつての興福寺には中金堂(ちゅうこんどう)、東金堂(とうこんどう)、
西金堂(さいこんどう)の3つの金堂があり、
それぞれに多くの仏像が安置されていた。
寺の中心部には南から北に南大門、中門、中金堂、講堂が一直線に並 び、境内東側には南から五重塔、東金堂、食堂(じきどう)が、
境内西側には南から南円堂、西金堂、北円堂が建っていた。
この他、境内南西隅の一段低い土地に三重塔が、
境内南東部には大湯屋がそれぞれ建てられた。
これらの堂宇は、創建以来たびたび火災に見舞われ、
焼失と再建を繰り返してきた。
興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えら れ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために強大な権力をもち、 天平時代を代表する仏像が多く残されている。
国宝館は旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設 で、数多くの国宝や重要文化財を展示保管されている。
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