東寺は、
平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、
嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として 栄えた。
中世以降の東寺は、弘法大師に対する信仰の高まりとともに
「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、
21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。
昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、
平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登 録された。
東寺は、創建当時から使用されてきた歴史的名称ながら、
「東寺」の他に「教王護国寺」という二つの名称がある。
東寺は平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、
藤原伊勢人が造寺長官(建設工事責任者)となって建立したという。
弘仁14年(823年)、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)は、
嵯峨天皇から東寺を給預された。
この時から東寺は、国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本 道場となった。
東寺は平安後期には一時期衰退したが、
鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、
皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになる。
中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院であ った。
宣陽門院は霊夢のお告げに従い、東寺に莫大な荘園を寄進した。
中世以後の東寺は後宇多天皇・後醍醐天皇・足利尊氏など、
多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えた。
文明18年(1486年)の火災で主要堂塔のほとんどを失うが、
豊臣家・徳川家などの援助から、金堂・五重塔などが再建されている。
何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていないが、
南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ
一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままで ある。
五重塔 国宝。
東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔である。
高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。
雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、
寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。
心柱を大日如来として祀っている。
金堂 国宝。
東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、
東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推 定される。
当初の堂は一揆で焼失し、現存の建物は慶長8年(1603年)、
豊臣秀頼の寄進によって再建したもの。
金堂本尊は、木造薬師如来及び両脇侍像(重要文化財) 。
中尊の像高2.88メートル、台座と光背を含めた総高は10mの巨像で、
中尊の光背には七仏薬師像を配している
講堂 重要文化財。
金堂の背後(北)に建つ。
天長2年(825年)空海により着工、承和2年(835年)頃完成した。
当初の堂は文明18年(1486年)の火災で焼失し、
室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたのが現存する講堂である。
講堂の本尊は、大日如来を中心とした全部で21体の。密教尊が
整然と安置され、羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成している。
これら諸仏は、日本最古の本格的な密教彫像であり、
空海没後の承和6年(839年)に開眼供養が行われている。
ただし全体の構想は空海によるものとされる。
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