出雲大社(いづもおおやしろ、いづもたいしゃ)は
主祭神 大国主大神
社格
式内社(名神大) 出雲国一宮 官幣大社 勅祭社
現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。
古代より杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)と呼ばれ、
1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。
正式名称は「いづもおおやしろ」ながら、
一般には主に「いづもたいしゃ」と読まれる。
創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする
出雲国造家が祭祀を担ってきた。
現在の宮司は84代国造千家尊祐で、
國學院大學を卒業後、太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し、翌年神社本庁より神職身分特級を拝受している。
現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。
約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、
神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。
出雲大社の創建については、
日本の神話を記した『古事記』『日本書紀』には、
国譲り神話として出雲大社の創始にかかわる伝承を伝えていますが、
神殿成立の記録上の上限としては、
斉明天皇5年(659)に、天津神(天皇)の命によって、
「厳神之宮(いつかしのかみのみや)」として
出雲国造(くにのみやつこ)に命じて「神之宮」を修造させたと、
神殿を修したことが記されている。(『日本書紀』)
その創建が、古代における国家的な事業として行われたものである。
出雲大社の社伝では、
垂仁天皇の時が第1回、
斉明天皇の時が第2回の造営とされている。
950年頃(平安時代)の『口遊(くちずさみ)』という本によれば、
本殿の高さは、東大寺の大仏殿の十五丈をこえる
十六丈(約48メ-トル)にも達したといわれ、
往時には、「天下無双の大廈(たいか)」と讃えられていた。
その後、何度も地震などで倒壊し、鎌倉時代頃から規模を縮小し、
現在の本殿は、高さ八丈(約24メ-トル)で、
延享元年(1744)に造営されたものです。
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