唐招提寺(とうしょうだいじ)は
南都六宗の一つである律宗の総本山。
中国・唐出身の僧・鑑真和上が、天平宝字3年(759年)、
新田部親王の旧宅跡を朝廷から譲り受け、建立した寺院で、
戒律を学ぶ人たちの修行の道場として開創された。
奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
1998年にユネスコより世界遺産に登録されている。
寺名の「招提」は、サンスクリット由来の中国語で、
「寺」「院」などと仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていた。
つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味。
鑑真は、仏教者に戒律を授ける「伝戒の師」として日本に招請され、
苦難のすえ失明したあと6回目の渡航計画でようやく来日に成功。
天平勝宝6年(754年)、東大寺大仏殿前で、
聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに菩薩戒を授け、
沙弥、僧に具足戒を授けた。
鑑真は日本で過ごした晩年の10年間の内、
前半5年間を東大寺唐禅院に住した後、
唐招提寺の地を与えられ、大僧都に任じられた。
後に大和上の尊称を贈られた鑑真は、天平宝字7年(763年)5月、
波乱の生涯を日本で閉じた。数え年76であった。
『招提寺建立縁起』によると、
金堂は鑑真の弟子でともに来日した如宝の造営で、、
伽藍の造営は弟子の如宝、孫弟子の豊安の代にまで引き継がれた。
伽藍は、
南大門(1960年の再建)を入ると正面に金堂(国宝)、その背後に講堂(国宝)がある。
かつては南大門と金堂の間に中門があり、中門左右から回廊が出て
金堂左右に達していた。
金堂・講堂間の東西にはそれぞれ鼓楼(国宝)と鐘楼がある。
講堂の東方には南北に長い東室(重要文化財)があるが、
この建物の南側は礼堂(らいどう)と呼ばれている。
講堂の西にあった西室、北にあった食堂(じきどう)は今は失われている。
この他、境内西側には戒壇、北側には鑑真廟、御影堂、地蔵堂、中興堂、
本坊、本願殿、東側には宝蔵(国宝)、経蔵(国宝)、新宝蔵、東塔跡などがある。
平成12年(2000)から、奈良県教育委員会文化財保存事務所の主導で、
10年を要する「金堂平成大修理事業」が完成した。
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