犬山城は
木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。
別名、白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを、
荻生徂徠が命名したと伝えられる。
現在は天守のみが現存している。
江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。
た天守が国宝指定された5城のうちの一つである。
(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。
前身となる砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いたものを
石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。
江戸時代には尾張藩の付家老が入城し、成瀬正成以来、
成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。
現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろである。
2004年まで、城主であった成瀬氏が個人所有する文化財であったが、
個人所有では維持に非常に困難が伴うことから、
成瀬一族の中から城主に選ばれた成瀬淳子(13代当主成瀬正浩の妹)は
財団法人『犬山城白帝文庫』を設立して理事長に就任し、
犬山城は個人所有でなくなった。
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