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                   高知城



   
 
  高知城は、
  高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれた梯郭式平山城。
  山の南を流れる鏡川、北の江の口川をそれぞれ外堀として利用されていた。

  戦国時代以前には大高坂山城、または大高坂城と呼ばれる城が築かれていた。
  現在見られる城は、江戸時代初期に、
  土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成し、
  土佐藩庁が置かれた。

  江戸時代、土佐藩の藩庁が置かれ、
  江戸時代に建造された天守や本丸御殿、追手門等が現存し、
  城跡は国の史跡に指定されている。日本100名城に選定されている。

  3層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれている。
  一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、
  高智山城と名を変えたのち、現在の高知城となった。

  高知城は、本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られており、
  天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。

  天守構造
  独立式望楼型 4重6階(1601年築・1747年再)現存
  
  指定文化財
  国の重要文化財(天守など15棟)
  国の史跡




 
   
   高知城絵図
  




   天守古写真
  




     追手門と天守
   




     追手門
   



  
     天守と右端詰門
   




     天守
   


 
           
         

   天守
  



    詰門 (東側より、右が二の丸、左が本丸)
  




  




    天守(手前は天守西北矢狭間塀)    
  



    黒鉄門(手前は黒鉄門東南矢狭間塀)
  




    追手門側面と追手門東北矢狭間塀)
  




        


    天守、詰門(手前)、廊下門(奥)
  



    高知城本丸御殿内部  
  



     高知城本丸御殿内部
  
   


     高知城本丸御殿内部
   




     天守閣の最上階6階
   



     天守閣の欄干
   



     天守閣からの東多櫓、廊下門、詰門
   



     天守から市街を望む
   



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