白川郷は、
岐阜県内の庄川流域の、大野郡白川村と高山市荘川町(旧荘川村)および
高山市清見町(旧清見村の一部に相当し、
今では白川村のみを指すことが多い。
白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。
独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定、
1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
白川郷の萩町地区は、今も実生活の場として使われているところに価値があり、
それが他地域の合掌民家集落と違うところである。
合掌造り家屋は、江戸中期から昭和初期まで
白川村から富山県の五箇山地区にかけて建てられた。
古い建物で築300年と言われている。
昭和20年代の庄川流域の電源開発によるダム建設で、集落が水没するなどして
減少していった。さらに、小集落の集団離村や火災による焼失などで、
合掌家屋の多くが転売され、あるいは消失しました。
1924(大正13)年に約300棟あった合掌建物は、
1961(昭和36)年には190棟に激減してしまいました。
合掌造りとは
木材を梁(はり)の上に手の平を合わせたように山形に組み合わせて建築された、
勾配の急な茅葺きの屋根を特徴とする住居で、又首構造の切妻屋根とした茅葺家屋です。
白川では「切妻合掌造り」といわれ、屋根の両端が本を開いて立てたように三角形で、
積雪が多く雪質が重いという白川の自然条件に適合した構造に造られています。
建物は南北に面して建てられおり、これは白川の風向きを考慮し、
風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して夏涼しく、
冬は保温されるようになっています。
合掌造りの大きな特徴は、屋根裏(小屋内)を積極的に作業場として利用している事。
幕末から昭和初期には、養蚕業が村の人々を支える基盤産業でした。
屋根裏の大空間を有効活用するため、小屋内を2~4層に分け、
蚕の飼育場として使用していました。
1971(昭和46)年に、地域内の資源を「売らない」「貸さない」「壊さない」の
3原則を掲げ、「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」を全住民の総意で発足、
保存活動を展開し始めました。
これらの保存活動が認められ、
1976(昭和51)年に国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、
1995(平成7)年には世界遺産に登録されました。
全国からのご支援で「旧白川郷合掌集落保存基金」を基に
「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」を設立している。
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