旧尾藤家住宅は
江戸時代末期文久3年(1863年)に建築された農家(庄屋)で、
大型農家を基本に、後に「生糸ちりめん商家」として改修され、
さらに昭和初期の洋風住宅建築が付加されるなど、
和と洋の世界が融合した建築として高く評価されている。
中世の尾藤氏は武士で、江戸時代前期には加悦に定住し、
丹波屋善右衛門として代々大庄屋などを務めた。
江戸時代中期頃から代々「庄蔵」を名乗り、
後期には、「生糸ちりめん問屋」して活躍しています。
明治初期には、北国と大阪を結ぶ北前船「蓬莱丸」を所有するほどの規模であった。
10代尾藤庄蔵は、生糸ちりめん業の傍ら、丹後銀行頭取を務め、
大正15年開通の加悦鉄道株式会社では、
常務、のち社長も務め、昭和3年からは2期加悦町長も務めている。
白壁とちりめん格子、
土塀の上にさりげなく据えられたガラス製の丸い街灯など、
外観も独特の雰囲気を醸し出しており、
丹後ちりめんの歴史を語る上で貴重な建物として、
「ちりめん街道」のシンボル的存在です。
明治・大正期には蔵や座敷など増改築が行われ、
昭和3年11代尾藤庄蔵が、念願の洋館を大林組設計部長の助言で建築した。
京都府指定文化財で、ちりめん街道のシンボルとして一般公開されている。
尾藤家より加悦町(当時)へ建物が寄付され、
加悦町が平成15年9月より翌16年9月まで保存修復工事を行った。
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