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     世界遺産
     
      興福寺

   
   
  興福寺は、
  藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、
  藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。

  創建年は、
  和銅3年(710年)の平城遷都のとき、厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し
  「興福寺」と名付けた

  興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、
  特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。
  平安時代には春日社の実権をもち、大和武士 と僧兵等を擁し、
  強大な力で大和国一国の荘園のほとんどを領し事実上の国主となった

  興福寺は、創建以来たびたび火災に見まわれたが、その都度再建を繰り返してきた。
  現存するものはこの火災以後の鎌倉復興期に制作されたものが多い。
  興福寺を拠点とした運慶ら慶派仏師の手になる仏像、もこの時期に数多く作られている。

  江戸時代は2万1,000石の朱印を与えられ保護されたが、享保2年(1717年)の火災の時は、
  焼けた西金堂、講堂、南大門などは再建されなかった。

  慶応4年(1868年)に出された神仏分離令で、子院はすべて廃止、
  寺領は明治4年の上知令で没収され、僧は春日社の神職となった。
  境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。

  行き過ぎた廃仏政策が反省され1881年(明治14年)、く興福寺の再興が許可された。
  明治30年、「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の諸堂塔も修理が行われ、
  徐々に寺観が整備されて現代に至っている。
   しかし、寺に塀が無く公園の中に寺院がある状態はこの時の名残である。

  1998年に世界遺産に登録され、
  1999年から国の史跡整備保存事業として、発掘調査が進められている。
  平城京での創建1300年を期に中金堂が再建中であり、南大門の再建も計画されている。





        
    
 

  

   境内整備事業  平成30年に完成予定
  

     境内整備事業  平成30年に完成予定
  


  

    
  



    東金堂(国宝)と五重塔(国宝),
  


             

     東金堂(国宝),
   

     東金堂内の諸仏
   

       
     中金堂再建工事
   
   
     中金堂再建工事
   



     北円堂
   

     南円堂
   

     南西隅から望む南円堂付近  
   





         三重塔
              


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